WINDARIA

イマジナリーラインついて北久保先生のツイートをまとめてみた

先週、アニメ監督の北久保さんがイマジナリーラインについて熱くツイートしていた。
昔は映像制作に関わる人や映画好きの人くらいしかこういう話は知らなかったし表に出る機会も無かった。
でも今は自分達で映像を制作・編集してネットにアップする人が増えるにつれ、どうやったらうまく見せる事が出来るのか興味のある人も多くなったと思う。
私は大昔に講師から教わったのだが、その講師の一人が(常任では無かったが)北久保監督だった。
このお兄ちゃん(今はお互いオッサンw)、技術的な事は常任の先生から聞けるという事で普段聞けないアニメ業界の裏話を大変面白く話していたのを今でも覚えている。
そんな北久保先生のツイートをまとめてみました。

※以下、北久保弘之氏のツイートの引用です。

こんばんは、北久保です。
予告通り今夜はイマジナリーライン含むカメラワークと絵コンテ基礎中の基礎講座なう。
えー、昨日からTLにイマジナリーラインっつー言葉が何度も出て来て、まぁ、ググっても解らん事も有る。
ついでなので絵コンテ基礎中の基礎にも触れてミル。でだ、最初に言っておくが本来ならば学ぶ順番は逆になるのだが、最初にイマジナリーラインっつー言葉を簡っー単に説明する。酷く乱暴な説明するが許せ。

イマジナリーラインとは日本語にすると「視軸」とか「視軸の関係」などと呼ばれるモノです。
んじゃ説明。ココに登場人物AとBの二人が居るとする。登場人物AとB。どちらがどっちに立ってても構わんのだが、とりあえず便宜上Aが右側、Bが左側に立ってるとする。
この二人がお互いの眼を見つめ合うとする。二人の視線 ←コレって「視軸」になる訳です。イマジナリーラインとはこういう空間上に存在する視軸の線を指す場合が一番解り易い。この「視軸」というのは別にアニメーションに限る話じゃ無くて実写・映画・TVドラマ・漫画などなど、「絵が(実写含む)存在する創作劇」に使われる一種の法則の事。多分、起源は古代ローマか古代ギリシャ迄遡ります。その通り元々イマジナリーラインとは舞台劇から発生した概念です。
さっきの登場人物AとBの二人は「舞台の壇上」に立ってるとする。舞台劇というモノにはある物理法則が存在します。それは「お客さんは「舞台の壇上」を越えて向こう側から芝居を観る事は出来無い」という極、当たり前の事です。そりゃそーだ、お客さんが勝手に舞台に登って客席の反対側から観る事は×
でだ、イマジナリーラインとは「お客さんは一方向から芝居を観る事しか出来無い」つー法則に則ったモンです。
登場人物AとBはそれぞれ右側と左側に別れて立ってる。もしこの二人の位置関係が一瞬で左右逆に入れ替わったら、客席から芝居を観ているお客さんは「エーッ! ナ、何が起こったんだ!」と多分パニクるハズです。だって右に居たAが左に、左に居たBが右に入れ替わったら大混乱です。

舞台劇はマジシャンのトリックショーじゃ無いので、この二人の位置関係を入れ替えたいならばAが左にBが右に歩くか走るかしない限り方法は有りません。この「観客が自由に越えられない視軸線」ぶっちゃけ、コレがイマジナリーラインの概念です。

しかし、時代は進み記録媒体が産み出され実写映画が登場するとこの「視軸線」が曖昧になる。だってカメラは撮りたい場所から好きに撮れちゃうモン。デモね、好きなトコから好きに撮った映像を繋げて観るとこりゃビックリ!繋がんない!大混乱です。
ココでモンげー解り易い例を上げると例えば「自動車が画面右側から左側に走って近づいて来る」というカットが有るとする。この自動車が走り去る様に観せる為には、次のカットは必ず「自動車が画面右側から左側に走って遠ざかる」っつー繋ぎになる訳です。これが逆に次カットで「自動車が画面左側から右側に走って遠ざかる」っつー繋ぎになると、観ているお客さんは「ウワッ! 自動車がぶつかってるジャマイカ!」という感覚に襲われます。

猿でも解る様に説明すると例えば「紙に右から左に線を引く」とする。もし、この行為に続きが有るとすると、次に引かれる線も「右から左」にしないと最初に引いた右から左の線と、次に引いた左から右の線は「ぶつかる」訳です。要するに、イマジナリーラインとは「お客さんは「自分の好きな位置から観る事」は(基本的に技を使わなければ)不可能だ」っつー法則です。

今説明したのは最も解り易いシンプルな例です。
実際にはもっと複雑怪奇にこんがらがります。何でかって?そりゃ画面に登場する人物(及び方向性の有る運動をする物体)は二人とは限らないから。登場する人物が増えれば増える程、視軸線はもーぐっちゃぐっちゃに入り乱れる訳です。コレって特に時間軸を持つ映像媒体に発生する問題な訳で。
その点、厳密に言うと「漫画にもイマジナリーラインは存在します」が、実際は漫画の視軸線はかなりユルユルです。何故か?と言うと「漫画は視軸線よりも「コマ割りと台詞が猪木イヤ命」だから」です。こーゆー事の例に上げるのはチョット失礼ですが例えば福本伸行先生!福本伸行先生の漫画の特徴は「絵ヂカラじゃ無くて台詞で観せる」っつーストーリーテリングに力点が有る訳です。加えて言うと、漫画は「読者が「納得出来る迄自由に読める」時間の主導権を持つ」媒体だから、当然、時間軸を持つ映像媒体とは読解力に差が有る訳です。つー訳で映像を撮る作家達には、この「視軸線」上に無茶はしちゃいけない訳です。お客さんがこんがらがるから。
しかし、イマジナリーラインっつー法則は「基本法則」で、物理科学的な絶対法則では無いという事。例えば「光速度不変の定数」とか「重力定数」みたいな絶対法則じゃ無いんです。技とか人物感情とか使うとこのイマジナリーラインは越える事は可能です
だからフォロワーさん達もイマジナリーラインを越えてるから「ミスだ!」という捉え方は「間違い」です。
少し舞台劇の話をすると「舞台には「上手」と「下手」が有る」という捉え方が一般的です。人物の流れは上手から下手へ動かすのが基本です。しかしあくまでそれは基本であって、コレも例を上げると「舞台劇の上手と下手の基本法則を(一見、否定してる様に観える)裏切っている吉本新喜劇」が有る訳です。吉本新喜劇では良く使われている「登場人物が現れるのは舞台の下手から」になって居る事に気付くでしょう。前衛芸術にも当てはまります。

で、他人の作品を例に上げると色々ゴニョゴニョなのでライン越えの説明にコレ観てくれ。

さてさて、この中で明確にイマジナリーライン越え(っつーか、厳密には越えちゃいないのだが)視軸関係を「崩している(崩れている、では無い。確信犯)」部分が2箇所有る。
5分~6分で、主人公 駒形三吉が大丸と孟宗竹で出来た花火筒を撃つシーンだ。

最初に着火・砲撃する際、三吉は左に立っている。このあと複数カットが入り指摘のカットになります。

演出上、立ち位置や移動する方向などは「意味付け」が存在します。

三吉が命令する時は上手(右側)だが、別シーンの挿入無しに花火筒を撃つカットでは三吉が画面左側に居る。さてさて、このカット繋ぎで「違和感」を抱いた人は何人いらっしゃるだろーか?まずコレはお客さんはスルーしてる。何故か?三吉が命令する時は上手(右側)、コレは攻める人物の配置だ。

いきなり立ち位置が変わると観客が混乱します。その為か人物の正面からのカットを入れていると思われる。

ダメな例その1。この時のイマジナリーラインは巨大ロボット同士の視軸になると思われます。

ダメな例その2。立ち位置そのままでカメラアングルを変えると三吉が完全に隠れてしまいます。

点火時は下手。これは大丸が右利きとすると花火筒は身体右に構えるハズ。すると三吉は大丸にカブって火種を着けなきゃならん。絵として凄え間抜けな構図。

そこは「(実際には行ってない)編集段階で段取りは省きました」という捉え方で視軸関係を意図的に入れ替えました。

とりあえず今夜はココ迄!

と以上となります。
色々作品を観ていると「うわ~うわ~!」って流れるように進んでいく映像も後で1つ1つ細かく見直すと、あれ?あれ?ってのが結構あります。でも、観ている時には「うわ~うわ~!」って違和感無く、ある意味『うまく騙されている』ので全く問題ない。逆に法則に縛られてダイナミックな見せ方が出来なくなる方が問題です。

で、その後のツイートを見てみたのですがまだ続きは語られていない(確認できない)ようなので、またつぶやいたらまとめてみようと思います。
用意した解説資料に不備があったりするかもしれませんがご了承ください。
(-_-;)<かなり長くなっちゃったね・・・。

■追記■
後日、カメラワーク編の冒頭で補足がありましたので追記しておきます。

 イマジナリーラインに関しては大体の説明は終わってるので、ホンのチョッとだけ補足します。イマジナリーライン=視軸の関係、コレ、上手く演れば違和感無く越える事が可能です。
一番 解り易い演出家と言えば、宮崎 駿さんです。宮崎さんがイマジナリーラインを跨ぐ時は大体、事件を起こします。事件とは、例えば「爆発」とかです。コレはもう未来少年コナンの頃から使ってる「一種の方法」。ナウシカやラピュタでも観て獲れます。登場人物の数が増えて「そろそろ苦しくなって来たなーって時に「爆発」キッカケで「視軸を跨ぎ」ます」。演出家の粗探しみたいな話ですがそういう眼で観るのも勉強。

 後、「舞台には「上手(右側)」と「下手(左側)」が有る」という事は説明しました。
ココで言っている右左は、「基本法則」です。
吉本新喜劇の様に「下手 (左側)から登場人物が現れる」事も、別に「基本では無いが「間違い」では無い」のです。少しだけウンチク言うと「右左の概念は複雑怪奇」です。
コレが漫画の話ならば「日本の漫画は左から右にページをめくるが、英語圏の漫画は右から左にページをめくる」という事になるのは、日本文字は右から左に読むが、欧米文字は左から右に読む、という大前提が有る訳で。だからと言って「舞台劇の右左は日本と欧米で「逆か?」というと、そうでも無い」。
実はこの右左の話だけで「本が一冊書ける」程ややこしいんです。視軸の概念は「舞台劇から発生した」事は間違い無いんですが、西洋の舞台劇と日本の舞台劇とは「関連性が無い」んです。海の向こうでシェークスピア演ってる間に日本じゃ能や狂言や歌舞伎が演じられて居る訳で。文字の歴史はシュメール。
一応世界最古の文字とされてますが、シュメール文字は「左上から右下に読む」が、ハムラビ法典のアッカド語は「右から左に読んだ後、左から右に読む」様なややこしさ。加えて言うと「西洋の舞台劇は「ホール状(つまり舞台をぐるりと囲む様に)」なっている」事。コレは古代ローマのコロッセオと同じ。

川の右左を指す時は「川上から川下に向かって」右側を右岸、左側を左岸と呼びます。多分、上手とか下手とかの概念は「右利きの人が多い」事と関連性が有ると思われますが、学術的証明は「されていない」です。日本と欧米でこの右左の概念が逆だったら「日本人がアメリカ映画を観たら違和感を感じる筈」
まぁ、こんな具合にややこしい訳です。実際は「欧米の映画も日本の映画も右左の概念は「あまり変わらない」というのが実態」です。イマジナリーラインに関する説明は以上。

2 comments
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  1. とても解り易い、GJ!な、まとめサイトを創って下さって、
    凄え感謝致します。この後、カメラワーク編、絵コンテ編、過去には
    シナリオ編などが、トゥギャッターにまとめられてますので、
    お時間の有る時で構いませんので、また、ユーザーフレンドリーな
    まとめサイトを創って頂けると助かります。
    宜しくお願い致します。

  2. [...] ※冒頭は「イマジナリーラインついて北久保先生のツイートをまとめてみた」に追記しました。 [...]

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